【追悼】楠ノ瀬直樹、死す

2016/12/14
総合 その他

楠ノ瀬直樹が死んだ。

もし、この写真の人を奇人、変人と呼び、その人生を記憶の外に片付けてしまおうという人がいたら、あと2、3分で構わない、この稿に目を通してもらいたい。

その人を知らない人も多いだろう。長く伸ばした色褪せた髪と焼けた肌、サングラスの奥の鋭い眼光。手にはピンク色のロッド。変人と片付けてしまう人の気持ちも、正直わからないでもない。事実、そうしてその人を片付けて来た人も多くいたから。


その人はふたつの点で抜きん出た人だったと思う。


まず、ひとつは日本のルアーフィッシング界に多大な貢献をしてきた人であるということ。日本にルアーフィッシング(バスフィッシング)という文化がやってきたばかりのとき、トーナメントでその人は異才のトーナメンターとして世に出、数々の斬新なアイディアとルアーを世に送り出してきた。ピッチングというテクニックを始めたのもその人だと聞いたことがあるし、霞ヶ浦をピッチングで2周したという伝説もある。それだけではない。その人の作るルアーは多くのルアーメーカーの原型ともなった。M社のとあるメガヒットペンシルベイトは、彼の作ったルアーを完全に模倣した品だという事実を私は知っている。

その後はソルトルアーに傾倒し、シーバスシーンの黎明期にはラパラ製ルアーを世に広めた。樹脂製ルアーの全盛期にはハルシオンシステムから、ペニーサック、飛豚など、多くの型破りのルアーを作ったみせた。しかし、それらは決して多くの釣り人に支持されたルアーではなかった。多くの人が下品な色物と見ていたように思う。ただ、東北の中野大輔はじめ、極一分のエキスパート達だけが、その意味と凄さを知っていた。発売から10年以上。どうだろうか?  ペニーサックにしても飛豚にしても、ビッグルアーが溢れる今の時代を先取りしていたルアーといえるのではないだろうか? 


ふたつ目に、その人は何よりも人格者だった。私が駆け出しの雑誌編集者だったとき、最初に懐に入らせてくれたのは、その人だった。個人的に月虫というルアーをよく使っていたことから生まれた縁であったが、とにかく面倒見が良い人だった。釣りに連れ出し、取材の時はいつも「ワンタックル持ってこいよ」と言って、編集者には御法度ともいえる現場での釣りを勧める。理由は明快だった。「自分がやらないのに、何がわかるんだよ? 何で記事が作れるんだよ?」

釣りにも食事にも連れて行ったくれた。編集者は人との付き合いが仕事の半分以上ともいえるが、そのことに気付かせてくれたのも、その人だった。唯一の欠点は、面倒見が良すぎる所だったかもしれない。夜10時頃に編集部の電話を平気で鳴らす。「最近、こんな釣りが面白いんだよ、やってみるか?」。話は止まない。そのお陰で、何度終電を逃したことか。

いま考えると、私はその人の門下生だったように感じる。私のいた雑誌では、多くの編集者は彼の門下生となり、そこから巣立っていく。ちなみに、人気を二分したもうひとつのライバル誌の先生は村越正海さんだった。その後は私はうまい釣り人に、嫌というほど会ってきた。ただ、私がひとりの人として心から尊敬するアングラーは、その人と村越さんだけだ。

さて、残念なことに私の拙い文章力では、この程度のことしか伝えることができそうにない。その人の人柄、人生をほとんど伝えられていないことが悔やまれる。ただ、その人の美しく、力強く、優しい人柄と人生があったことを、どうか皆さんにも知ってもらいたい。


千葉県夷隅川の対岸。巨大鱸をかけた細い腕は、どこまでも逞しかったのだ。
不世出の天才・楠ノ瀬直樹に捧ぐ



【浜名湖でキビレゲームを取材したときの映像】